その1 それは プア・オーディオ からはじまった

Demiおじさんのオーディオ遍歴

元々機械いじりは嫌いで無くアンプや5球ラジオ、テープレコーダなど改造して遊んでいたが、音はラジオ品質だった。

オーディオ、それは、お金のない学生時代から始まった。

学生になってすぐの昭和48年、第一次オイルショックが訪れた。スーパーではトイレットペーパー目当てに人が並び、ガソリンの値上げに閉口した時代だった。ところが電気街で有名な大阪・日本橋のオーディオ業界はすこぶる元気だった。惜しげ無く物量投入された部品、高価なオーディオ機器は日本の底力だった。部品一つ一つが一級品でかつ贅沢品でもあった。

アンプもレコードプレーヤーもスピーカーさえも重量が音質を決めるとの理論が横行し、ケース素材には鉄や銅が惜しげ無く用いられ30Kg以上のアンプやコンポ機器は当たり前だった。

下宿先ではスピーカー自作はできなかったが、当時、日本橋のあるショップで長岡式スワンを聞く機会があり、見かけとは違い恐ろしく凄い音だった記憶がある。まさにカルチャーショックだった。ネットワークを用いない小口径のスピーカー1個から何故こんな低音が出るのだろうと不思議に思ったものだった。

でも学生時代購入できたのは、安物のTechnicsやKenwood,YAMAHAというコンポ。安い割には重量は重たいオーディオだった。後々引っ越しの歳にはホントに困った。

還暦過ぎてやっと大音量を出せる環境が手に入った。

バックロードホーン、Wバスレフ、BHBSmini(音工房Zのキット)を初めて作った。定位のいいTangBangのユニットやFostex8〜12cmのスピーカーを使い較べてみた。

本Blogでは、プア・オーディオからマルチアンプシステムにはまってしまったDemiおじさんの備忘録を残すことにした。