その2 お金がなかった学生時代

学生時代

当時の大阪、日本橋・恵美須町の電気街は、オーディオファンにとってはまさにテーマパークいやワンダーランドだった。とはいえ先立つモノは無くて、オーディオ雑誌に出ていた、えせ評論家の推薦する重量だけ重い安物のコンポを入手した。下宿では大きな音は出せず、きっと大音量にすれば、さぞかしすばらしい音がするだろうと当時はこれで結構満足していた。

Technics プリメインアンプ+チューナー+フルオートレコードプレーヤー Victor 30cm3ウェイスピーカー   AIWA のカセットだった。

高価なLPはあまり購入できず、NHK-FMとFM-OSAKAのエアチェックのお世話になった。カセットテープだけは溜まりに溜まったが・・・・

社会人になり故郷・岡山に帰ったことでオーディオ環境は大きく後退した。頻回の県外転勤で引っ越ししたが重い安物オーディオコンポの移動は肉体労働であり大変だった。自ずとレコードやプレーヤーは大半を処分した。相変わらず大音量環境にはなくヘッドフォンがメインであった。

愛媛県に赴任しているとき、独身であったことも影響してSpendol BC-IIIという結構大きなスピーカーを衝動買いした。このあと引っ越しに苦労することになるのだが、2DKの団地では、なんと蚊の泣くような音しか出せなかった想い出がある。

昭和57年CDが発売。当時ノイズのない中高音の良く出るメディアは、所謂いい音だった。給料の多くはCDメディアに消えたが、なぜか中高音の耳に付く音には心酔できなかった。その後平成になってバブルは崩壊し、オーディオ業界も構造不況となり、多くのオーディオメーカーは倒産や撤退した。

Walkman的な発想から、音楽も軽薄短小へと変遷していった。

PC-AudioとかiPodとMP3という音楽を持ち出すことは楽にはなったが、圧縮音源ということでHiFi音質とは関係ないんだという洗脳を受けていたのだろうかと今では追憶する。

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